我らはどこへ往く

何処へむかえば良いのかも

あの人いないけどね

ここの日記をいつの日か誰かに遠慮して書きたいことも書けなくなってえらい空虚なもんになってた(いや、今も)

なんかそれが嫌。


うちは常々、愛は何だろうとか愛はあるのかとか永遠の愛はあるのかを考えてきた。
まだまだこれからも分からないんだろうけど、ひとつだけわかったのは永遠の愛は無い。

あるというなら、とんでもない努力者だ。



雨の日は胸がざわざわして嫌いやなあ

もう誰にも気兼ねしないでここにいたいなあ




マツコと友だちになりたいなあ
焼肉食べいなあお寿司食べたいなあホットケーキ食べたいな
古市憲寿仲良くなりたいなあ優子と仲直りしたいなあ健康になりたいなあハッピーになるお薬のみたいなあめっちゃ眠りたいなあ夢を食べいなあ
神様に会いたいなあ




人生やり直したいなあ

お母さんへ

今日であなたが亡くなって6年
あなたが無くなってそんなに経った
私はいつも求めすぎて、母親像を押し付けすぎて、勝手に苦しんだ
存在してくれるだけで良かったはずだった

お母さん
あなたが死んで私は独りぼっちになった

そう思い続けてたの。

死ぬ前に「死んでもサラには言わないで」と
言い残したのは私の存在がしんどいからなのだと思った。
やっぱり今でも正解は分からないけど、違ったのだろうし、もしそうだったとしたなら私が駄目だったからだね。
いつまでもおっぱいを探す乳児のようだった

ごめんね?

6年前、あなたが死んだ

人間じゃなくなった日

人は死んだらどうなるの?

もう感情なくなった?
お母さん、苦しくない?

お母さんがこの世界にいないなんて分からないよ

さみしいよ

今日ね、こわかったの、だってね、
お母さん焼かれた
たくさんの火で
私を撫でてくれた手が
私を見つめてくれた瞳が
その皮膚が…



生んでくれたことを感謝して、
ちょっと苦しいからもう寝ようと思うよ




おやすみなさい



















私の心が変に

私が病んだのは

私のトラウマは母にあった


私はいつも母を求め母を探し母を追ってた。


自分の病んだ根本的原因が母だということを認めれず、虚構の中で生きようとした。それ故に虚言があったのも事実だ。周りを騙し自分をも騙した。


本当は


病んだ原因は母の病気だったのに、そこを触れることはほぼ出来なかった。


例えば、自殺して私を捨てた父なんて種としか思わないし、虐待した養父のことなんてどうでも良かった。
母が死んだ時の日記ではマリアとよんだ。私にとっては聖母だった。



健康な心を持つ母の傍に居たかった。
(それもまた勝手につくる虚構か)




私の周りで起きた出来事は病むに足りる原因があり、それを利用した。
母を恨み母を愛していた。



母の死後、もう何も並べれる言葉がない


 
いろんなことが終わった。
      

むかし、日記に自殺予告なんかしてリアルタイムにどの薬を何錠飲んだとか付けてって吐血すればその画像をアップし、アクセス数は今じゃ有り得ない数字になってた。
当時はメンタル系サイトが流行っててリンクを貼ってるサイトもメンヘラ管理人さんも多かった。
「死にたい」「死にたい」そんな言葉が簡単すぎて、勝手に「南条あや」を敵視する時ようなバカな時もあった…
死ねば永遠になるかもしれない朧気な期待と忘れて消え去られる恐怖を毎日考え、死にきれない自分に嫌気さして泣いた。
誰かに愛されたいんだけど、誰かは愛してると言うんだけど、どんなに尽くされても足りなくて過剰に求めて壊れ、またひとりぼっち
アクセス数と孤独数は反比例してたなって今思う。

自我の常連が出来て、荒らしもいてホームページがうわーってなった。

異端やまこつ。えみやあや。凄く仲良しになった子が豹変して2chに情報流したり、荒らしで凄いって思ったハチ公。(異端が身元確定した後、和解)うづき(唯一まだそばにいてくれる)みさと(大物なったね)さゆこ、そしてヒィの文章が美しすぎた。
学校や(主に大学)何故か海外からのアクセスがあって、アメリカとかイギリスとか中東アジア諸々。そう、どこまでも続くほど自我には人が来てくれた。


私は異端を待ってたような気がする。
求めるままに首を締め切ってしまえば良かったと、何度も緩めた手を後悔した。私の血を惜しみなく飲んでもらえば良かったと。

そろそろ波に乗ろうと思う。
いつも別れが怖くて仕方ないよ

思い出

15年前、私は仕事を必死にし、やりがいあることに満足し、早めに終われば気の合う友だちと飲みに行き、お酒は上手に酔わせてくれ、恵まれた環境にいた。ここに綴るのは迷うから消すかもしれないけど、家庭すらあった。
日々満足する一方で、違う私が私の首を絞めるような苦しさや、笑っていてもその笑顔を許してくれない私がいた。
ある日、また仕事帰りに飲みに行きその後、私はある人と2人で残って飲んだ。頭が良くて気さくなやなって印象を持つ人だった。話しやすくてその人と仲良くなった。

先にその人は自分の闇を明かした。次第に私も苦しみを伝え一緒に原因を探した。
どう調べたのか忘れてしまったけど当時は日本のサイトでアダルトチルドレンと調べればその殆どがエッチなものしかなかったのに、どう行き着いたか斉藤学さんがアダルトチルドレンを紹介してるページにいけた。
内容を読み、チェックすると全てって言っていいほど当てはまった。

「わたし、アダルトチルドレンだ」

そのときの感動や興奮すらを忘れない。
どんな安定剤も向精神薬ですら意味を持たなかった私が光を見た瞬間やったから。


それからは、難しい英語や文章やインターネットの仕組みも打破してもらい調べまくった。だけどまともにホームページがなくて、しんどくなった時

「うちらでつくってしまおう」って、それが始まりだった。

その人、その人とはエイジであり数年間、副管理人をした人だった。

どうやってホームページを広げようかとか、デザインはこうしたいとか最初の方は楽しかったけど、ホームページの飛躍ばっか考えて本来の辛さが後回しになったり、パフォーマンスのためのリスカやODまでしだして、あれ?ってなった。私は何してるんだろう。違うやんって思った。エイジとの揉め事も増えてエイジとはダメだってなっていった。数年かけてエイジから離れた。

私の人生は上がり下り。いつも凄いスピードで。

自我閉鎖

私はぽやーって生きてるけど、でも生きてるから微々たるもんでも成長してく
良い成長だけじゃなくて求める気持ちも大きくなったらしい
ひとりでボンヤリここにいるのは辛くなったんです。
数年前の2月28日に凄く憎くもあり凄く愛したお母さんが死んで
私のいろいろな部分も壊れた。特別に意味を持つことになった、その日で
私の居場所であり、みんなの居場所であればと思い、愛したここを終わらせたい

あといくつ寝ると

いつだっけな。
コロコロ雪の中
転げ落ちてさ。

痛かったんだよ。

どこを見ても
誰もいない独りの公園

空を見上げたらお月様が
まん丸で大きくて光ってた

うちは、お月様の所へ
行ってぼーっと地球を
観たかったけど届かなくて。

お月様からは、きっと人間なんて
小さすぎて、それで、それで...

何もかも凍りそうな寒い夜
もういらなくなったうちは
それでも踏ん張って生きた
そう生きたと思いたいんだ

過去にいって自分を抱きしめたい
何となくこの寒い夜で思う。





今年あと1日だ。
来年が素晴らしい年でありますように

月が太陽の夜

⁽⁾


私はあの日、大切とされる人、大切とする人と一緒にはいなかった
「どうして一緒に居ないの?どうしていつもこんな日に居ないの?どこで何してるの?」
怒りの感情を込められ問われたのに、それでも私は勝手に時間をすごしてたことを思い出す。
いつもそう。肝心な時、ここって時に私はそこにいつも居ない。

自我というサイトが14周年をむかえられました。ありがとうございます。これかも・・・ と
そう挨拶しました。

それからこの日記を書くのに2ヵ月以上

コメントをくれた方、掲示板に書き込んでくれた方、無視じゃないです、ごめんなさい。

正直、いま何を書いているのか何が書きたいのかなんてことは分かっていない




私はいつも大切にしてくれる人に身構える。とっても疲れる癖です。
(ただただ、焦って何か書きたいだけで、話が飛びまくりごめんなさい)




こんなにもホームページを放っていることを少し許して、それでも見守って欲しいと思ってることを許してください。




   

日記のタイトル通り最近、夜の月が太陽にみえる。
月明りって言葉があるけどそんなものじゃない。その明かりは強すぎて私には不気味にみえるのです。

世界がおかしくなっている今、私個人レベルじゃなくてみんなが不安を抱えてるんじゃないのかな。
                     
この世はいつも恐怖が付き纏っていつも安心なんてさせてくれない



自我→http://liveegoism.web.fc2.com/menu.htm

自我 サラ 14周年

昨日で自我が14周年となりました。
2月3日に開設した「自我」

準備期間には半年を持っての開設でした。
今はスマホなどで見てくれてる人が多いと思うけど当時はパソコン時代だったからトップのページの画像+文章+音楽 決めを何万から選び...など
アダルトチルドレンググるとアダルトなページばかり。
海外からアダルトチルドレンのサイトを翻訳して調べという、まだまだマイナーなものでした。
そういったものを昨日ずっと思い出したり
人間関係でのトラブルの多かったこと、自分がとてつもなく未熟だったこと(今もだけど)いろんなことがあったって何度も色んなことを思い出し。
裏切りから突然のホームページ閉鎖の危機もあったりからの通って来ていてくれた方の離れ迷子になってしまった方
すごく辛かった。でも何とかここまで来れたんだ。
いろんな悩みや感情を聞いたり知ったり
いろんな方向に進んで行った人たちをみて
悲しくなることがあったり、勿論
嬉しいこともあったりして。
うちはまだまだ、この自我を存続します。
本心からここに来てくれる方々に感謝しています。
あらためて、ありがとうございます。
これからも、自我をお見守り下さい。

「自我」
http://liveegoism.web.fc2.com/menu.htm
管理人 サラ

真っ暗ん中

Am 9 30
どうやって生きていっていいのか
分からなくなってる
自分が小さすぎて
虚しくて、籠から出れない自分が
そんな自分がいて
息が苦しくなって
悲しくなって中途半端に涙が出て
でもそれに何も意味なんてもたらしてなくて
夜の闇がこわくて
明け方の光でスタートに怯えて
このままこういうのが一生続すくのかって
先の見えない道を探しても全く光筋がなくて
これは続くの?
どうすればいいの?
このまま終わりたくないのに
このまま終わっていくの?
こわいよ

Pm 4 30
たばこの煙で部屋の空気が濁っているから窓を開けたら寒くて毛布に包まっていたら眠っていた
怖い夢がリアルでハッて目を覚ましたら
もっともっと怖いものが目の前にあった
3回くらいそれが繰り返されたとき、本当に目が覚めた
なんだ、夢も現実も分かんないのか。
これを打っている手が震えている
息がちゃんと出来なくて、
どうやって呼吸するんだっけ
くだらないことばかりの思考が頭ん中でぐるぐる回って疲れた
古くからの友人に「サラはいつも闇の中にいるように思ってたよ」そう言われた
うちは人見知りが激しいけど、それを言ってみると「はいはい」って笑って冗談にされる。
そっか、自分をつくって壁をつくって接していたのかもしれない
起きて少しした後何か食べようと思ってうどんを食べた
うちは拒食症や過食症やそれに伴う嘔吐の経験は少ないけど
吐いた

心と体の連動を実感した

ひとには色んなことを言う。
よく問われる「存在意義」は
うちも知りたいんだ。
「存在意義」ってなんだろう
うちに「存在意義」なんてあるんだろうか

こんなに酷い文章かいてて恥ずかしくないのか、わたしは。
何が何を訴えたいのかも分からずダラダラ書きしてるな

やっぱり、このまま終わっていきたくないよ
その不安が半端じゃないのだけは変化がない

Am 1 30
眠ることが難しいうちやけど
ベットにもぐって努力する
努力して努力して、そしたら朝方には少し眠れるのかも
また見る悪夢を怖がりながら狂いそうになりながら
今日をまた無駄に悲しくなりながら、終わらせるんだ

この闇ん中で

いつもの想癖

同じようなことばかり日記に書いてる。
でもまた書こう
.
.
また過去からのお話
.
.

実父とは2〜3年
母親とは数年の間
実質それだけしか
一緒に暮らしてない

そのうえ母は朝起きれば寝てるし
学校から帰ってきたら仕事に行ってて
うちが眠ってしまうまで帰らない

それでも母のことを心の底から
愛してた

いや違う、依存か、或いは愛してたのではなくて
愛されたいって心深く思いすぎてしまったんだ


たまに、ホントたまに母が休みのときは
学校を休んで一緒に過ごした

母はあり得ないくらい優しい人だった

そして

弱かった




今、無性にさみしい
するといろんなことを思う


きっと母からは愛されてた
たぶん
たぶん
たぶん

他の男の人のとこへいっても
うちのこと
考えていた
たぶん
そう
思う


いつも思う
「愛してる」
これは文字
これは言葉

だから何度言ってくれても心に届かない
軽い空気をうちにあおいでいるだけ


愛されている実感がわかない
だって誰が愛すの?


溺愛してたっていう実父だって
うちを捨てて逝ったんだ


人間ってそんなもんなんだ



愛って定義があるのか

自分が愛してるって思えば愛なのか

んー殴り書き
文章支離滅裂
表現できない



ただひとつ



はっきりしてるのは





やっぱり愛されたい




自我
http://liveegoism.web.fc2.com/menu.htm