我らはどこへ往く

何処へむかえば良いのかも

思い出

15年前、私は仕事を必死にし、やりがいあることに満足し、早めに終われば気の合う友だちと飲みに行き、お酒は上手に酔わせてくれ、恵まれた環境にいた。ここに綴るのは迷うから消すかもしれないけど、家庭すらあった。
日々満足する一方で、違う私が私の首を絞めるような苦しさや、笑っていてもその笑顔を許してくれない私がいた。
ある日、また仕事帰りに飲みに行きその後、私はある人と2人で残って飲んだ。頭が良くて気さくなやなって印象を持つ人だった。話しやすくてその人と仲良くなった。

先にその人は自分の闇を明かした。次第に私も苦しみを伝え一緒に原因を探した。
どう調べたのか忘れてしまったけど当時は日本のサイトでアダルトチルドレンと調べればその殆どがエッチなものしかなかったのに、どう行き着いたか斉藤学さんがアダルトチルドレンを紹介してるページにいけた。
内容を読み、チェックすると全てって言っていいほど当てはまった。

「わたし、アダルトチルドレンだ」

そのときの感動や興奮すらを忘れない。
どんな安定剤も向精神薬ですら意味を持たなかった私が光を見た瞬間やったから。


それからは、難しい英語や文章やインターネットの仕組みも打破してもらい調べまくった。だけどまともにホームページがなくて、しんどくなった時

「うちらでつくってしまおう」って、それが始まりだった。

その人、その人とはエイジであり数年間、副管理人をした人だった。

どうやってホームページを広げようかとか、デザインはこうしたいとか最初の方は楽しかったけど、ホームページの飛躍ばっか考えて本来の辛さが後回しになったり、パフォーマンスのためのリスカやODまでしだして、あれ?ってなった。私は何してるんだろう。違うやんって思った。エイジとの揉め事も増えてエイジとはダメだってなっていった。数年かけてエイジから離れた。

私の人生は上がり下り。いつも凄いスピードで。