我らはどこへ往く

何処へむかえば良いのかも

ボヘミアンラプソディ

お母さんが恋しい。はじめてパニックを起こしたのは、7歳だった。次は10歳くらい。そして今。

小さい時にパニック起こしたとき、お母さんが「大丈夫よ」って背中を撫でてくれたことを、現在パニックが起きると必死に思い出す。

もう二度とお母さんには会えない、祈っても叫んでも泣きわめいても、もう会えない。

少ししかない、僅かな良い思い出を落ちてしまわないように必死に胸に埋めて生きるしかないんだ。


お母さんはいつまでだって私の中で大きい



最近、娘から「私のこと嫌いなんでしょ」って言わせてしまった。

そう思うって不幸だ。

自分自身よくそう思ってた。嫌われてるというよりは関心すら持たれてない、お母さんにとったら存在価値がないと。その悲しさや虚しさは超えるものがなかった



私はずっと愛に苦しんできたけど、ひとつだけ理解したことは

愛を超える愛がある。愛してる?とか愛してるよ、の、次元ではないような。

毎日お母さんを思い出す以上に娘を思い出してる。そして生きてくれてる。

勝手な私の、酷い思いも悲しい思いも寂しい思いも虚しい思いもさせた私の傍に生きてくれる。


私にとっての娘は存在価値大きい。そして幸せしか願ってない。


よかった、ちゃんとそう思えるお母さんになった



お母さん

やっぱ恋しいな。会いたいな、無理なのは知ってるのに。

もうすぐ1117日だ。私のお母さんの日


夢の中でもいいから会いたい、お母さん。

ここのところ、数時間おきに発作が起きてさ

疲れちゃったよ。

いっそ自分にとどめをさそうか、なんて

3580000万ぶんの1もあり得ないけど、死んだらお母さんに会えたりして、なんてバカな考えを必死におさえて

何とか生きるんだ。この先にまだまだ幸せが、のんびり気持ちいい時間がくるの信じてみよ。

私はまだ娘たちを見てたいし。


そのうち、この穴があいた心はうまるよね

いつかパニック障害は治るよね

きっといつか苦しみに終りは来るよね


そう信じないと生きていけない






まあ、とにかく娘と仲直りしてボヘミアン・ラプソディの歌詞で面白い思想を持った彼女と議論したいわ




更新しまくりさˎ₍•ʚ•₎ˏ